欲如意足(欲三昧勤行成就如意足・欲三摩地勤行成就の神足)欲求に対して、意のままに集中統一し、実践する 欲(志向)によって心の静止を得たら、欲三摩地という。四正勤の実践を勤行という。 私は欲(志向思念・意志力)を修習して、怠けること無く努力しすぎること無く眠り込まないように五感に反応しないようにして、只、志向し続ける。 脳天から足の裏まで観察して、身口意の三行によって昼にも夜にも修習する。このように広々とした大空のような心で、太陽のような光明想を思い描く。 精進如意足(勤三昧勤行成就如意足・勤三摩地勤行成就の神足)精進に対して、意のままに集中統一し、実践する 勤(実行力)によって心の静止を得たら、勤三摩地という。四正勤の実践を勤行という。 私は為すべきことを実行して、怠けること無く努力しすぎること無く眠り込まないように五感に反応しないようにして、只、実行し続ける。 脳天から足の裏まで観察して、身口意の三行によって昼にも夜にも修習する。このように広々とした大空のような心で、太陽のような光明想を思い描く。 心如意足(心(念)三昧勤行成就如意足・心三摩地勤行成就の神足)思索に対して、意のままに集中統一し、実践する 心(集中力)によって心の静止を得たら、心三摩地という。四正勤の実践を勤行という。 私は心に想像して、怠けること無く努力しすぎること無く眠り込まないように五感に反応しないようにして、只、心に想像し続ける。 脳天から足の裏まで観察して、身口意の三行によって昼にも夜にも修習する。このように広々とした大空のような心で、太陽のような光明想を思い描く。 観如意足(観三昧勤行成就如意足・観三摩地勤行成就の神足)観慧に対して、意のままに集中統一し、実践する 観(観察力・自覚)によって心の静止を得たら、観三摩地という。四正勤の実践を勤行という。 私は全てを観察自覚して、怠けること無く努力しすぎること無く眠り込まないように五感に反応しないようにして、只、観察自覚し続ける。 脳天から足の裏まで観察して、身口意の三行によって昼にも夜にも修習する。このように広々とした大空のような心で、太陽のような光明想を思い描く。 --- 教典の言葉足らずというか、非常に難しい内容といえます。 四神足(四如意足)を実習できる確信がありません。 また、何という教典かは忘れましたが、他のヨーギー達(教団)でも如意足の修行をしていたという記述があったはずです。 私の記憶では、この如意足を修行すれば寿命は思いのままであり、その他の神通力を身に付けることができる。 というような内容だったと思います。 解る方がいれば、教えてください。 |