修行の道筋 仏陀曰く「修行者が仏の説に随って解脱の修行をしようと思い立ったら、まず、念覚分を習う。 念覚分を修め終わったら選択分別を思惟する。その時択法覚分を習修する。 選択分別して思惟し終わったら精進努力する。精進覚分を習修するのである。 精進努力して精進覚分が終われば、歓喜が生じ、諸々の欲望を離れ喜覚分を習修する。 喜覚分が満足して身心が猗息すれば猗息覚分を習修する。 猗息覚分が満足し終わったら愛楽する。愛楽し終わって心が定まれば定覚分を習修する。 定覚分が満足し終わったら欲望は滅し、捨心が生じて、捨覚分を習修するのである。 念覚支 自分と外界について覚る。いわゆる四念処の思惟である。 択法覚支 四念処を修行すれば、善法と不善法を選択分別し択法を覚る。 精進覚支 択法覚支によって善法不善法の分別を思惟し、不善法を断じ、善法を養生する。いわゆる四正断である。 喜覚支 四正断によって歓喜が生じ、喜びを覚る。 軽安覚支 喜覚支を覚れば、身の安楽(快感)と心の安楽(快感)が生じる。身の安楽を修し、心の安楽を修す。 定覚支 軽安覚支によって、心定まって「安楽」が生じ、定覚支を修行する。いわゆる四禅を思惟する。 捨覚支 定覚支が満足して、欲望を滅し、断界、無欲界、滅界に心をとどめる。 七覚支とは解脱への道筋の七段階である まず「四念処」を思惟して本当の悪とは何か、本当の善とは何かを理解し(念覚支)、善悪を分別(択法覚支)する。 分別したら悪を捨て、善を取ることに努力をする(精進覚支)。 そして、悪を捨てたことに喜びを感ずる(喜覚支)。 悪不善の法を捨てることによって、楽が生じ心が安定する(軽安覚支)。 心が安定することによって精神が統一される(定覚支)。 あとは欲悪不善の法を捨て(捨覚支)、再び汚されないようにする。これが解脱の道筋である。 |