ヨーガの八支分 禁戒、勧戒、坐法、調気、制感、凝念、靜慮、三昧がヨーガの八支分である。 禁戒(やってはいけないこと) 禁戒とは、非暴力、正直、不盗、禁欲、不貪、である。 どんな状態においても禁戒が守られるとき、大誓戒と呼ばれる。 非暴力の戒行に徹したなら、その人のそばでは全てのものが敵意を捨てる。 正直の戒行に徹したなら、その言うとおりの行為と結果が実現する。 不盗の戒行に徹したなら、求めずして、あらゆる財宝が集って来る。 禁欲の戒行に徹したなら、強力な精力を得る。 不貪の戒行に徹したなら、不動心を得、転生の有様を正しく知る。 勧戒(やるべきこと) 勧戒とは、清浄、知足、苦行、読誦、自在神祈念、である。 否定的想念に気付いた時は、すぐに反対の肯定的想念を念想せよ。 否定的想念は、全て苦と無知とを際限なくもたらすものであることを念想せよ。 清浄の戒行に徹したなら、自他の肉体に嫌悪の情を抱き、他人の身体に触れなくなる。さらに心の安定、喜び、集中力、直感力が現れる。 知足の戒行に徹したなら、無常の幸福が得られる。 苦行の戒行に徹したなら、心身の不浄が消え、身体と感官の超自然力が発揮される。 読誦(真言念誦)の戒行に徹したなら、自分の希望する神霊に会うことが出来る。 自在神祈念(信頼、献身、愛)の戒行に徹したなら、三昧に成功する。 坐法 坐法は、安定した、一番楽な坐り方をしなさい。 坐法は、力を抜いて楽にして、心を無辺なるものへ合一させることによって成功する。 坐法の成功によって行者は、寒熱、苦楽等どの様な相対的状況によっても悩まされることはない。 調気 坐法が調ったら、調気を行う、呼気と吸気の流れを断ち切ることである。 調気は、外部的、内部的、静止的な働きなら成り、空間、時間、数によって測定される。 細く長くせよ。 内外の対象を排除したものが第四の調気である。 調気の実修によって、心を覆っていた煩悩が消滅する。 心が集中統一に耐えられるように成る。 制感 制感とは、感官が、それぞれの対象から離れ、心を対象とする用に成った状態である。 制感を実修することによって、全ての感覚器官に、最高の従順さが生れる。 綜制(凝念、靜慮、三昧) 凝念とは、心を特定の場所に縛り付けておくことである。 靜慮とは、特定の場所を対象とする想念が一筋に伸びていくことである。 三昧とは、その思念する客体ばかりに成り、自体を無くしてしまったように成った状態のことである。 凝念、靜慮、三昧は同一の対象に対して実修されるので、総称して綜制と呼ばれる。 綜制に成功した時に、真智が輝き出る。 綜制の実修は、段階を追って行いなさい。 綜制の三部門は、それまでの部門に比べて、内的である。 しかし、無種子三昧にとっては、外的部門にすぎない。 心の転変 雑念をとめる想念が現れ、雑念をとめる瞬間の意識と心が合一していれば、止滅転変と言う。 心の静止が持続するのは、止滅の行が原因である。 あらゆる対象に惹かれること無く、心の専念状態が現れるのを三昧転変という。 今消えた想念と、次の瞬間の想念が同じであるのを、心の専念転変という。 以上の解説で、物質と感覚に関する現象と時間と様態の転変も説明されたのである。 綜制(凝念、靜慮、三昧)の対象 三種(原因、条件、結果(因、縁、果))の転変に対して綜制を成せば、過去と未来に関する知が生れる。 言葉と、言葉の表すものと、言葉の意味を混同するために混乱するのである。これらの違いに綜制を成せば、あらゆる生き物の声の意味が解る。 綜制を成して、行(潜在記憶)を直感すれば、前世のことが解る。 綜制を成して、他人の想念を直感すれば、他人の心の動きを知る。 その知識は、想念の対象まで含まれていない、この知識は想念だけにとどまる。 自分の肉体に対して綜制を成せば、その身体は誰にも見えなくなる。 自分の業に綜制を成せば、自分の死期を知ることが出来る。 慈(善意)等の感情に綜制を成せば、様々な力を発揮出来る。 象等の力に綜制を成せば、それらの力に等しい力が発揮出来る。 内なる光に綜制を成せば、どんな微細なものでも、隠れているものでも知ることが出来る。 太陽に綜制を成せば、宇宙を知る。 月に綜制を成せば、星の位置を知る。 北極星に綜制を成せば、全ての星の運行を知る。 臍輪に綜制を成せば、体内の組織を知る。 喉の窪みに綜制を成せば、飢えと渇きを消すことが出来る。 喉の下にある亀の管に綜制を成せば、忍耐力(坐の不動)が得られる。 脳天の光に綜制を成せば、神人達を見ることが出来る。 照明智によって、全てを知ることが出来る。 心臓に綜制を成せば、心を意識できる。 想念を捨てて、純粋に真我に対して綜制を成せば、真我の智が現れる。 真我への綜制から、照明智、超越した聴覚、触覚、視覚、味覚、臭覚、が生れる。 綜制(凝念、靜慮、三昧)の結果 綜制の結果は、雑念にとっては霊能であるが、三昧にとっては障害と成る。 綜制の実修によって、心を体内に縛り付けている原因が弱まり、心の運行する道筋が明らかになると、心は他人の身体に入り込める。 綜制の実修によって、ウダーナ気(上昇気流)を支配すると、水、泥、刺、等に煩わされることがない。 サマーナ気を支配すると、身体から火焔を発することが出来る。 聴覚器官と虚空との結びつきに綜制すれば、天耳通が得られる。 肉体と虚空の結びつきに綜制をするか、軽い綿くづに定心を向けることによって空中を歩くことができる。 実際に身体の外で心が働いている時、それは大脱身と呼ばれる。この時、心の障害が無くなる。 粗大な元素、それの本質、微細な元素、それの結合、及び合目的性に綜制を成せば、元素を支配出来る。 それによって肉体が完全に成り、何物にも破壊されなく成る。 肉体の完全さとは、美しさ、優雅、強力、金剛不壊の強靱さである。 感覚器官の把握作用、それらの本質、自我意識、それの結合、合目的性などに綜制を成せば、感官を支配する。 それによって意のように早い運動、感官を離れてものを知り、世界の根源を支配する力が発現する。 心と真我の相違を純粋に自覚している人は、全存在に対する支配権と全智を得る。 真我独存 このような優れた超能力に対しても喜びの心を抱かなくなれば、全ての悪の根が絶たれて、真我独存の状態が現れる。 たとえ高級神霊から誘いを受けても、愛着と誇りを抱かないことが大切である。さもないと再び不吉なことが起きる。 今の瞬間と、瞬間から瞬間への相続に綜制を成せば、この分析から生れる智恵が現れる。 この智恵によって、種類、特徴、位置、等によって区別できないものでも、的確に見分けられる。 この智恵は彼岸に渡すものと呼ばれ、全てのものの全てを知ることが出来る。 心の善性と真我の清浄さが等しくなった時、真我独存の境地は現れる。 法雲三昧 行者が深智を得て何の欲望も抱かず、あらゆる面の弁別智を知り尽したならば、法雲三昧の境地が実現する。 その時、煩悩と業は消滅(還滅)する。 全ての煩悩と業が消滅した時、一切の汚れの無くなった智恵は無辺となる。後知るべきものは僅かである。 それによって、三グナ(自性)は目的を果したので、それらの転変の相続も完了する。 相続は瞬間瞬間と不可分に結合しているので、転変の終局に於て初めて把握される。 独存位とは、目的の無くなった三グナが自分の本源へ没し去ることであり、純粋精神である真我が自体に安住することである |